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『劇場版まどか☆マギカ』新編 叛逆の物語に関する一考察~まどかとほむらと上位と下位とマミさんボッチ卒業と~ [視聴日記その他]

時間ない週末。
そして始まる平日・・・
の間を縫って、劇場版まどかマギカを見てきました。
ゲリラ的敢行(えー)。

けいおんを抜いてトップに躍り出たというその力。
見てみたくなったので・・・
とりあえず、ほとんど事前知識無しに視聴。

なるほど・・・
ネタバレを含むかもしれませんので、以下気になる人はご覧にならないで下さい。




この映画、3行で示すなら・・・
・置いて行かれた者の悲哀の極み
・幾星霜積み重ねられ深められらた純粋な感情
・只一人知っているからこそできることで分かり得たタイミングと確信

その結果がまどかの対極としてのほむらの存在を誕生させてエンド!
という感じでしょうか。

最初は予想通りのラスボスでしたが、大どんでん返しが2回ほどあって楽しめました。
流石けいおん抜きです(なんじゃそりゃ)。


今回もメインはホムホムでした。
ブレません。

劇中では出てきませんが・・・
この映画を見るとどうしても概念という文字を考えてしまいます。


時間空間質量の法則を無視して成立するような概念。
それは時間空間質量の法則に縛られる私たちからすると上位概念と言えます。


まず、上位概念は下位概念があるからこそ上位として成り立ちます。
それから普通は、下位概念は上位概念を知覚も認識もできないとされます。
上位概念は下位概念に優位性を持つからこそ上位概念として成立します。

それなのになぜ上位概念のことを知り得ることができるでしょうか?
私たちにできない概念があるとの理解。
それが上位概念の存在するかもしれないと推測夢想する要素だからです。


しかし、上位を確実に知覚認知できる下位の概念があるとしたら・・・
それは下位概念ではなくなるとも言えます。
なぜなら上位概念に観測干渉しうるのは同じ範疇の存在と捉えられるからです。

インキュベーターが望んだのはこのような存在なのでしょう。
そして、ほむらは上位概念を認知していたけれど知覚はできない存在でした。
だから恋慕のみが募る結果となりました。

そして、他者が上位概念を認識しえないこと。
それが自己の存在さえ否定する危うい心理状態に追い込んで行ったのかもしれません。
それこそが今回の物語の根幹かもしれません・・・たぶん(えー)。


青い人とマミさんペットは?
上位概念の意思上位概念に干渉されたことで下位概念ではなくなった存在。
・・・というところでしょうか。

それ故に上位概念との接続が遮断される。
あるいは上位概念を知覚認知できなくなると下位概念に戻る存在と言えるでしょう。

なんか概念概念と意味不明ですが、そんな気がしました。きっと(えー)。



それより、この映画で重要なポイントはマミさんです。

マミさんが大活躍です。
ホムホムより強いマミさん。
時間停止をものともしないマミさん。
しかし、それよりなにより重要なこと。
それは・・・マミさんボッチから卒業!!
おめでとうマミさん。
ブラボー、おおブラボー、ブラボー。


続編、作られるでしょうか。
たぶん、作られる気がします。

でも、物語的にはまどかとほむらのやり合いに陥りかねない選択しもありそうです。
けれども、そうならないと予想します。
なぜならば、そのキーワードは愛です、愛。

まどかの愛は全ての魔法少女へ。
ほむらの愛は1人の魔法少女へ。
どれほど深く愛があろうと、その隔たりは杏子の食欲よりも大きい(は?)。

そしてこれこそが、2人の存在の違い。
如何にほむらがまどかに近しい存在となっても・・・
ほむらがまどかに太刀打ちできない決定打ではないでしょうか。
・・・わかりませんが(どっちだよ)。

映画見ると、フィルム貰いますが・・・
なんか意味不明な横顔でした。
なんじゃこりゃ・・・マミさんがヨカッタ(無茶言うな)。


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